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神戸家庭裁判所姫路支部 昭和52年(家)691号 審判

申立人 吉田千恵子(仮名)

主文

申立人の氏を「田中」に変更することを許可する。

理由

第1  申立人は主文同旨の審判を求めた。

第2  審理の結果次の事実が認められる。

1  申立人は申立外田中宏(本籍、住所共に兵庫県高砂市○○町○○×××番地、大正一四年二月二七日生)(以下単に宏という)と昭和二六年四月二六日婚姻し一男二女を儲けた。

2  申立人と宏は、宏の提起した神戸地方裁判所姫路支部昭和五一年(タ)第六号離婚請求事件の判決(昭和五一年一二月三日言渡、同月二二日確定)により離婚し、そのさい未成年者である二女純子の親権者は宏と定められた。申立人は上記判決による離婚届出により、婚姻前の氏である「吉田」に復氏した。

3  申立人は宏と結婚以来今日までおよそ二五年の長きにわたつて田中姓を使用して教職を務め、その間生徒、卒業生、父兄、教師をはじめ社会に田中姓で通用しており、今にして旧姓吉田に変ることは社会生活上相当の不利、不便を被るばかりでなく、なお今後七~八年教職を続けるので特に上記学校関係者との関係を平穏に保つためにも従来の田中姓を使用したいと熱望している。

4  申立人は、昭和五一年六月一日施行の民法等の一部改正により婚姻によつて氏を改めた者で離婚により婚姻前の氏に復した者は離婚後一方的に届け出ることにより(婚姻中の氏)婚氏を称することができる(民法七六七条)ことを知つていたが、その届出期間が三ヵ月であることは知るに至らなかつたのみならず三児のため再び宏と婚姻する期待を持ち続けていた(昭和四三年ごろ田中夫婦居住の家屋が焼失し、新居建築資金三〇〇万円を共済組合から借入れるに際し、申立人もその半額を借受け、現在なお割賦弁済中であつて、その清算は未だになされていない)ところ、宏は離婚判決後僅か四ヵ月余である昭和五二年四月一三日友子と婚姻し、申立人の上記期待は水泡に帰したので弁護士と相談し本件申立てをしたものである。

5  宏は「申立人が改正民法による婚氏を称する旨の届出期間を徒過した以上は旧姓に復するのが当然である。田中家は別に由緒ある家柄でも名門でもなく、これに固執する理由は全くない。離婚の事実は学校関係者間に周知の事実であつて、今更田中姓を使用しても何らの利益もない」との意見を述べた。

第3  当裁判所の判断

1  旧民法七四六条は「戸主及び家族は其家の氏を称す」と規定し、氏は家の呼称であつたが、現行法は家の制度を廃止したので氏は家の呼称たる意義を失い、名と共に個人識別の標識としての意味を持つに過ぎない。ただ現行法も夫婦同氏の原則、親子同氏の原則をとり、一定の身分変動に応じ当然に氏が変動し、或は家庭裁判所の許可により氏を改める制度を残している。

2  しかして離婚後婚氏の使用を許すか否かは身分変動に関連する場合であるところ、従来当然復氏の制度がとられていたが、前記民法の一部改正により、氏選択の自由を拡げ、離婚後三ヵ月内であれば一方的に戸籍法七七条の二により届け出ることにより、離婚の相手方の意見にかかわりなく婚氏を称することができることになつた。しかして上記届出期間を過ぎて氏の変更(婚氏の使用に限らない)を希望する場合には戸籍法一〇七条一項の手続によることになる。

3  戸籍法一〇七条一項は「やむを得ない事由があるとき」は家庭裁判所の許可を得て氏の変更ができる旨規定している。この場合の氏の変更は身分関係の変動とは何らの関係もなく、また改氏により身分関係に何らの影響も及ぼさない単なる氏の呼称の変更で、改氏というよりも改姓という方が適当な場合である。

4  さて上記認定のとおり申立人はおよそ二五年の長きにわたつて田中姓を使用して教職を続け、その呼称は申立人個人の識別の標識として学校関係者をはじめ社会に定着しており今これを変更した場合には相当の不利、不便を被ることは明らかで、申立人がなお七~八年間教職を続け学校関係者との関係を平穏に保つためにも田中姓を使用したいと希望することも無理からぬものといわねばならない。

5  前記のとおり戸籍法一〇七条一項の氏の変更は、その本質は個人識別の標識としての氏の呼称の変更であるから、たまたま婚氏に変更する場合でも、離婚の相手方との間に何ら身分関係を復活するものではないが、婚氏を称する事由の如何によつては、離婚の相手方の感情的利益を害し或は実質的に他に不利益を及ぼすおそれがないわけではないので、申立人の婚氏を称する必要性のほかに、離婚の相手方の意見及び離婚原因等についても考慮を払う必要がある。よつて以下この点を検討する。

(1)  宏は前記のとおり申立人が婚氏を称することについて反対の意見をとなえている。ところで田中という姓は社会一般に珍らしくない普通の姓であつて、特に由緒ある家柄、名門を表象する呼称でもない。「田中宏」家が由緒ある家柄でも名門でもないことは宏の自認するところである。従つて仮に申立人が、この点から田中姓を称したいというならば、その理由に乏しいことは勿論であるが、その反面、宏において申立人に対し田中姓の使用を阻む理由ともなり得ない。

(2)  次に申立人と宏との間の前掲離婚判決によれば、婚姻の破綻については申立人の責任が重いものと認められるけれども、判決理由としては申立人の不貞の事実(民法七七〇条一項一号)を認定したものではなく両者間の家庭生活上の意見の対立があつた上に、昭和四三年ごろから申立人の同僚男性教師との親密な交際関係に対し宏が強い不信の念を抱き、不和となり、結局申立人が実家に帰り別居数年に及び、もはや「婚姻を継続し難い重大な事由」があると認定したものであるところ、これまでに認定した諸事実と合わせ考えるときは、上記申立人の離婚についての責任は未だ申立人に婚氏の使用を許さない理由とはなし得ない。

以上の事実を総合すれば本件申立については氏変更の「やむを得ない事由」があるものと認められるので特別家事審判規則四条、戸籍法一〇七条一項により主文のとおり審判する。

(家事審判官 梶田寿雄)

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